2015年12月11日金曜日

「林家正蔵 所ジョージが100万円の刀の鍔を無価値にして衝撃」を読んでの感想・・・

どんな大物だろうと天才だろうと、人生の中では思い悩み苦しむことがあった。そんな時に光を照らし道を示してくれた恩師の思い出は、今も色鮮やかに心に刻まれている。落語家の林家正蔵氏(52)が、そんな恩師へ感謝の言葉を語る。

所さんと出会ったのは、前座の修業が終わって、二つ目に昇進した頃でした。テレビにちょくちょく出させてもらうようになったころ、知り合いのディレクターが所さんの番組を担当していたので、最初は見学させてもらいました。次に通行人として出演し、その次はカンペ出し。そして番組出演、と階段を上っていきました。そこからは四六時中一緒でした。

その所さんから真打襲名披露の時に、「渡したい物がある」といわれて「世田谷ベース」(※注)に行くと、手のひらに収まる大きさの桐の箱をいただいた。開けて見ると、ウチの家紋である花菱が刻まれた刀の鍔(つば)が入っている。しかもその鍔は銀色のラッカーで綺麗に塗装がされていた。

知り合いの古美術商によれば元は100万円以上の価値があるという。しかし、塗装したことで価値がゼロになったそうです。

 所さんは何故そんなことをしたのか、ふと桐の箱のふたの裏を見ると、「伝統は壊さなければ意味がない」と書いてあった。これを見た時は体中に電気が走りましたね。

 落語は伝統芸、積むことが大事だと考えていた。積んで、潰され、また積む、の繰り返し。そうして芸を磨くものだと思っていたんです。所さんはそういったことはお見通しで、

「真打に昇進したお前(正蔵)は、積むことはできている。あとは少し壊してもいいんじゃないか。そうすればもっと光り輝く」

 とおっしゃりたかったのかなと思うと、嬉しくて涙が出ましたね。


出典http://www.news-postseven.com/archives/20151125_364427.html?PAGE=2



あらら・・・

所ジョージの存在は、私の中で好きでも嫌いでもないと言うポジションだったが、何故か憎めない存在でもあるように思う。

所さんは車好き(アメリカンカルチャーなのかな?)として有名だが、日本刀、刀装具の収集家としても有名である。

実際にテレビで拝見してても勉強されているな、と思うコメントもしばしばあり、いわゆる「ニワカ」ではないと私は認識していたが・・・



このニュースを見る限りではその認識も変えなければいけないかもしれない。




個人的には、本歌の刀装具においては現代人が手を入れる余地は無いと思っている。

例えば、拭う位の事は、日頃の手入れとして良いのだが、形や景観が変わるくらい加工したり、削ったりと言うのは言語道断だと思っている。

文にすると極端になってしまうので勘違いして欲しくないが、本歌の物を居合刀の拵えに付けて実際に使う等は気にしない位の許容性は持っています。



実際にあるのが、昔の鉄鍔で漆塗りしてある物があるのだが、それを削ってしまったりという場合。

今回の場合は全く逆の事をしてしまったわけだ。



まぁ、どんな鍔か判らないが、ラッカー位なら簡単に落ちそうな気もする・・・?が御丁寧にウレタン塗装だったら簡単には落ちないでしょう。

どちらにしても、塗装とは現代の技術で作られた科学物質であり、漆と違って地金への悪影響もあるかもしれない。

ちなみに漆を活用した製品は、約9000年前のものが確認されており、狩の道具に漆を吸わせることで道具を強化していたらしい。

少なくとも縄文時代(BC 14,000年頃~BC 300年頃)の初期には、漆が使われ始めたみたいです。




「伝統は壊さなければ意味がない」の一文があるが、こういう事が美談として扱われるセンスがどうかしてると思う。

特に落語家って伝統を大事に受け継いでいくイメージがあったのだが、どうやらそうではないらしい。

「伝統を壊す」文だけなら結構な心構えで、その心意気や良し!!となるのだが・・・


簡単な結論を述べてしまうと、
「100万円クラスの物はかなりの貴重品で、後世に残すべき文化財でもあると思うので塗装なんかして破壊するのは辞めたほうがよい」と言う感想である。



こんなニュースを見ても、不思議な事に何故か所ジョージは嫌いにならないんだよなぁ。

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